いいかげん暮らし

なるべく丁寧、疲れたら手抜き

不育&不妊のダブル治療で、高齢出産した私の体験談~4度の流産を経て、ようやく会えました。

昨日の不妊治療の記録に続いて、今日は不育症のことを書き残しておこうと思います。

6年前に、4度の初期流産を経て、41歳で子どもを授かりましたが、当時はまだ経験者や病院の口コミなどの情報も少なく、さらに高齢で不妊ともなると、似たような境遇の人と知り合ったり、情報を探したりするのがとても大変でした。

不育症のイメージ画像

今は不育症に関する情報も増えていますが、それでもなお、不妊で不育で高齢出産となると、それほどケースは多くないと思いますので、この記事が、同じような状況で苦しんでいる方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

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私の不育症

初めての妊娠は34歳の時。11週での流産でした。エコーでなかなか赤ちゃんが見えず、先生に呆れられながらも、3日ごとに診察に通いましたが、卵黄嚢が大きくなっていくばかり。9週の時に、巨大な卵黄嚢の横に、キラッと光る星屑のような赤ちゃんが見えましたが、ネットで調べた順調な経過のエコー写真とあまりにも違っているので、不安でたまりませんでした。そして2週間後の診察時に、流産が確定し、手術。最後に1度だけでも姿を見せてくれたのかなと思います。病院に向かう道に、大きな桜の木がありました。「今日、花が咲いていたら、きっとうまくいく」。通院のたびに思いました。目をぎゅっと閉じてから、念じて目を開ける。でも花は咲きませんでした。あの時の想いとエコー写真は、13年経った今でも忘れられません。

それから1年ごとに赤ちゃんはやってきてくれましたが、いつも5、6週の初期流産に終わってしまいました。

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不育症の検査

東海大学(現:杉ウイメンズクリニック)での検査

2度目の流産の時に、当時、数少ない不育症の専門医だった、東海大学(現:杉ウイメンズクリニック)の杉先生のところに通い、検査をしました。遠くて大変でした。結果は原因不明。「2回の流産はよくあることなので、次はうまくいくでしょう」というお話でした。ただこの時、失神するぐらい痛いと言われていた卵管造影検査と、分かっても対処のしようがない、染色体検査はしていませんでした。

成育医療センターでの検査

3度目の妊娠も流産に終わってしまったため、子宮形態異常か、染色体異常が原因ではないかと思い、意を決して二つの検査をしました。卵管造影検査は思ったほどは痛くありませんでした。結果はどちらも異常なし。この時、染色体異常があっても、最終的には60~80%の夫婦が無事出産できるということを知りました。

合わせて、当時はまだ流産の原因になるかどうか、よく分かっていなかった、抗リン脂質抗体症候群の検査もしました。結果は、抗PS抗体IgGが、上限0.9のところ1.6という検査結果でした。そこで次回の妊娠時は、血栓予防のために、低用量アスピリン療法を行うことになりました。でも4度目の妊娠でバファリンを飲んでも、やっぱり初期流産となってしまいました。

不育症のイメージ画像

名古屋市立城西病院(現:青木産婦人科クリニック)での検査

当時も青木先生は不育症の権威でしたが、東京から名古屋は遠いため、通えないと思っていました。でも4度も流産を繰り返し、まもなく40歳になろうとしていたため、後悔しないように、日本一の病院にかかろうと思いました。それでもだめだったらあきらめようと。そして新幹線での通院が始まりました。

青木先生は、心理的な影響に着目していました。つまりストレス(また流産してしまうのではないかという不安)が次の流産に大きく影響するという考え方です。

それとナチュラルキラー細胞(NK)の影響も重視していました。

先生のもとでは、一般的な不育症の検査に加えて、ストレス耐性テスト、潜在的高プロラクチン、キニノーゲン、NKの検査をしました。

潜在的高プロラクチンはぎりぎりセーフ、キニノーゲンがグレーゾーンという結果でしたが、不育症の原因として、NKが高いこと、ストレス耐性が低いことが判明しました。

ストレス耐性テストでは、マックスが「10」のところ、「8」という点数になってしまいました!「思い通りにならないときの耐性が低く、計画しすぎな性格」ということでした。全くもって、当たっていました。

私の治療法

青木先生の治療法は以下のようなものでした。

高すぎるナチュラルキラー細胞への対応

NKが39%と高く、妊娠すると変動しやすいということから、たぶん妊娠中に高くなってしまっているのではないかということでした。これでは胎児を異物として排除してしまうのでよくないということで、妊娠前に1度、妊娠後は4週、5週、6週目に、それぞれ1回ずつピシバニールを投与することになりました。この治療のため、妊娠初期のひどいつわりと戦いながら、新幹線で青木産婦人科クリニックに通いました。痛いと言われていた注射ですが、私はたいして痛くなく、さほど腫れることもありませんでした。

抗リン脂質、血液凝固系への対応

抗PS抗体IgGが高いのと、キニノーゲンがグレーゾーンだったことから、血栓予防としてアスピリンとヘパリン療法を行うことになりました。バイアスピリンを2日に1錠服用すると共に、毎日、朝晩、カプロシンを自己注射しました(とても針が細いので、痛くありません)。

ストレス耐性が低いことへの対応

抗不安剤であるメイラックスを、心拍確認前や、ツワリがなくなってしまった時など、不安な時に服用することになりました。なるべく飲みたくないと思いましたが、それよりもストレスで流産してしまう方がよくないと思い直し、4週から7週の間に、数回だけ飲みました。

甲状腺機能低下への対応

私は25歳の時に、橋本病と診断されました。妊娠するまではずっと経過観察で、薬を飲んだことはなかったのですが、体外受精の排卵誘発に使った注射の副作用で、甲状腺機能が一度亢進し、妊娠後に低下してしまいました。そのためチラーヂンを1日1錠(途中から半錠)飲むことになりました。

おわりに

不育症のイメージ画像

このような経過をたどり、5度目の妊娠にて、ようやく娘を授かることができました。私について言えば、精神的なケアと、ナチュラルキラー細胞への対策をしていただいたことが、良かったのではないかと思っています。あれから13年もの月日が流れ、不育症の研究は随分、進んでいることだと思います。当時のことを思いだすと、いまだに胸が押しつぶされるような悲しみに襲われます。今、同じような思いで悲しんでいらっしゃる方。どうか今は、お腹にいた赤ちゃんに思いを寄せて、ゆっくり、ゆっくりと悲しみを癒してください。短い間でしたが、赤ちゃんが来てくれたことは、まぎれもない事実ですから。そして次はきっと…。明けない夜はありません。不育症で悲しむ方がいなくなることを、心から願っています。

*当時、こちらの別ブログに、不育症のことを書いていました。よろしければお読みください。

*私が読んだ、不育症に関する書籍と漫画です。

「不育症」をあきらめない (集英社新書)

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不育症戦記―生きた赤ちゃん抱けるまで (創美社コミックス)

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(投稿日:2016年12月28日 /更新日:2017年7月6日)

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